龍言時間

龍言時間。それは、自分の気持ちとの正直な繋がりを回復し、確かな思考を促す時間。

旅には、いろいろな種類がある。



例えば、卒業旅行のように、景色や食事は二の次で、仲間との会話こそが記憶に残る旅もあれば、死ぬまでに一度は訪れてみたい場所、例えばマチュピチュやポンペイのような史跡をめぐる旅。皆さんは、これまでのどんな旅が最も記憶に残っているだろうか。


南魚沼に、龍言 ryugonという宿がある。


冬に訪れると、本当にこんなにも雪が降り積もるのかと、全くの異世界を訪れた気分になれる場所。雪のない季節にいっても、そこにいる人々の心根や、土地に残る風習から、どこか雪との関連性を感じられる場所だ。地理的には湯沢も近く、スキーと関連した良き記憶がある人も多いであろうこの土地を、今一度異邦人の目で見つめててみると、あらためて多くの発見があった。



龍言 ryugonへは三度訪れた。

その時のことを思いかえすと、他の旅にはない、特別に印象的な箇所がある。

私はこの龍言で過ごしていた時間の「自分自身の心模様」をいずれの時もはっきりと記憶しているのだ。

これは、ここ龍言 が持つ特別な魅力の1つであり、この空間がそうさせている。



だからこの場所を「心おどる場所」と説明するのはすこし違う、と私は思う。

それはここが、選択的に心の静寂を求めてくる場所として最適であるからではないだろうか。
楽しさ、にもいろいろあるが、はじけるように動的なそれではなく、楽しさのその中に静かな幸せを伴うような感覚。

例えばそれは、神社仏閣を訪れたときに、まれに感じられるような多幸感かもしれないし、ヨガなどそれぞれの方法で、心身を気持ちのよい状態にもっていけた、いわゆるマインドフルな状態であるかもしれない。

もしくは、あえてもの悲しい気分に自分をもっていく旅独特のややセンチメンタルな心の動きが、自然と意識を自分の内側に向かわせていくのかもしれない。


また、この場所が誰にとっても気持ちがいいのは、空間の持つ力と合わせて、「個々人の快適さ」に寄り添う工夫がある点も大きいだろう。

例えば、龍言ではいったいどれだけの方法でコーヒーが飲めるだろう。部屋で、ラウンジで、レストランで、CAFEで。好きな時間に好きなものを楽しめる。


それぞれにとっての快適さは、心を素直にする役に立つ。
雪の恩恵、寄り添ったおもてなし、古来から伝わる建築、温泉。

龍言には、自分の気持ちとの正直な繋がりを回復し、静やかに、そして確かな思考を促すしかけがある。
つまり、こんなエッセイを書くには、最適な場所であった。



高野美穂 Miho Takano
コピーライター/ラジオパーソナリティー 

東京生まれ。教育系出版社ベネッセコーポレーション勤務を経て、独立。その後、日経CNBC等のリポーターを経て、2005年にコンテンツ制作会社スタイルクリエイトを設立。企画構成、記事執筆の他、現在では、「魅力の言語化」を得意として、プロジェクト単位でサポートしている。

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