龍言時間

さあ何をしようか

空腹になるための旅に出ることにした。
東京の西の方のまちでカフェというか、喫茶店というか、を経営するぼくは、9月、お腹いっぱいだった。
経営するお店は2つだけだというのに、気が付けば社員・アルバイトスタッフの数は40人近く。というのもカフェとは面白いもので、日々営業をしているといろんな出会い、いろんなハプニングがあって、お店を舞台とした仕事が、思いがけず次々と芽吹いてきてしまうものなのだ。始めて13年。出版業や書店業、お米づくりに地域通貨、まちの寮の運営など、すでに何屋と言ったらいいか分かりづらいような状況になってきている。
仕事は楽しい。お店のシフトに入ることも楽しいし、新しい挑戦があるのもいい。いいメンバーにも恵まれているし、少しずつ成果が出てきている手応えもある。そうした点では幸せな日々を送らせてもらっていると思う。ただ、それでもやっぱり少しお腹いっぱいになってしまうことがあるのだ。

2021年の9月、2泊3日の旅に出ることにした。行き先は南魚沼、ryugon。前年に1泊する機会があり、非日常でありながらも心からリラックスできるその独特の空間・時間に魅了されていた。そしてこの時は特にどういうわけか、向かうのは北だという気持ちにもなっていた。
上越新幹線に乗って、高崎を過ぎる。二度の長いトンネルを抜けると、景色が一変する。突然高い山々に取り囲まれ、別世界になる。ああ、ここはぼくが日常を過ごす世界とは別の場所。まだ車内だというのに、360度その景色に囲まれて、全身でそう感じる。そう、ぼくは旅に出たのだ。
ryugonのある六日町には、ほどよく何もない。駅を下りると山に囲まれ、少し歩けば魚野川に差し掛かり、その景観は十分過ぎるほどに贅沢なのだが、いわゆる観光名所的なものはほとんどない。人間わがままなもので、のんびりしようと旅に出ても、どこそこに有名な美術館がある、どこそこにおしゃれなカフェがあると聞くと、やっぱりそこらへ行ってみたくなる。そうすると気が付けば“スケジュール”は埋まり、せっかくの旅が予定だらけになってしまうのだ。でもここではそれが起こらない(……と言いながら一度二度と伺うと、やっぱり周囲を含めて訪ねてみたいところが見えてきて、それはそれで悩ましい……)。

チェックインを済ませ、部屋に入って荷物を置いて、何をしようかと考える。そして、そう考えること自体がちょっと久しぶりかもと思う。いつも、やらなきゃいけないこと(自分でやりたいと選んだことではあるけれど)が山積みで、いつも頭のどこかで次にやらなきゃいけないいくつかのことを考えている。そして実は本当は、ryugonにやってきた今も、その「いくつかのこと」は存在している。でも、ここにやってくる3時間で、それらに踏ん切りをつけることもできた。時間のギャップ、景色のギャップがそれを助けてくれた。ryugonにいるぼくは、もう普段のぼくじゃない。たかだか3日、何かが進まなかったとしても大したことではない。それでダメになるものなら、そもそもダメなものなのだ。「いくつかのこと」は上毛高原の暗いトンネルに置いてきた。
だから白紙になって、何をしようかと考える。意味とか目的とか、費用対効果とかではなくて、心と体が自然に向かう方向を探すようにして、何をしようかと考える。
その瞬間から、いつもとはちょっと違う色合いの自分の時間が流れ始める。

2日目。宿で借りられる電動アシスト付き自転車に乗って、まちに出た。一つには、収穫間近の田んぼを見て回りたかったからだ。たわわに実った稲穂が風に揺れる様は、まさに黄金色の絨毯。そして、上杉景勝、直江兼続も幼少期に学んだという越後一の禅寺、雲洞庵。さらにはちょっとがんばって魚沼の里にも足を延ばす。それぞれ素晴らしかった。ただ実は、それらと並んで、自転車で走り始めるうちに、どういうわけか自分の気持ちを捕えて離さないものがあった。
ryugonを出てすぐのところに、「北村商事」という看板を掲げる会社があった。さらにポタリングを始めてすぐくらいのところで、「北村クレーン」という看板も見かけた。この地には、北村さんが多いのだろうか?北の村だったからか? 実は自分の経営するお店の1つ、胡桃堂喫茶店の店長の名前もまた北村さんなのだ。北村○○というような看板は他にもあるのだろうか? 俄然、興味が湧いてきた。最初は行き当たりばったりに任せていたが、なかなかうまく出会えないので、ついに文明の利器の活用に踏み切った。「南魚沼 北村」で検索するといくつか出てくる。「北村米穀店」という名前があったので行ってみると、「キタムラ損保企画」へ業態転換したようだった。「北村左官工業」も存在したが、残念ながら写真映りのする看板を掲げてはいなかった。「北村商店」を見つけたものの、結構な距離があることにさすがにあきらめかけたが、えーいと意を決して訪ねてみたところ、残念ながらこちらは閉店されたようだった。
気が付けば、結構な距離を走ってきていた。残念な思いと、心配な気持ちとを抱えて来た道を引き返そうとした時、ちょうどその脇を2両編成の上越線が走っていった。一瞬のことだったが、暮れかけた陽射しをバックに走るそれと、一面を覆う黄金色の田園風景に包まれて深呼吸したとき、自分自身に憑いてしまっていたものが自然と流れ出て、なんだか心も体も軽くなったような気がした。

たださすがに、あちらこちらと走り回り過ぎたようだ。そこからryugonへと帰る途中、電動アシスト付き自転車のバッテリーが切れてしまった。魚野川の堤防沿いを下流から上流へとたどる道。徐々にペダルは重くなる。バッテリーの切れた電動アシスト付き自転車は、ただの重りつき自転車であることを思い知る。9月上旬の夕暮れは、少しの汗をかくのにも絶好の季節だった。

ryugonは食事も美味しく、特に東京者にとってはコシヒカリの美味しさは衝撃的で、ついつい2杯3杯とお櫃が空になるまでおかわりをしてしまうので、胃袋的には、3日間で空腹になるということはなかった(幸せなことだ)。でも自分の気が向くまま、世界へと自分を投じることのできたこれらの時間のおかげで、心と体はほどよく空腹になった。空腹になると欲が出る。それを埋めようと欲が出る。明日からまたがんばれそうだ。

越後湯沢から上越新幹線に乗り、暗いトンネルを通って日常へと戻る。いつもの景色だ。頬張る「爆弾おにぎり」だけが、越後の残り香。お店に着く。3日ぶりの自分の仕事場だったが、それでもそこに立つと今度は自身にこう問うことができた。さあ何をしようか、と。忘れかけていた新鮮な感覚だった。結果やることは変わらなかったとしても、次から次へと押し寄せるようにやってくるそれらをこなすようにする仕事と、そこにひと呼吸おいて、自身の心と体でもってつかみにいくそれらとでは雲泥の差がある。

「北村商事」、「北村クレーン」、「キタムラ損保企画」の写真を立て続けに(迷惑を省みずに)北村さんへと送ったところ、「南魚沼は、最近傘下にしたところです」と暴力団の総長のようなシンプルな返信がきた。
その言葉が本当かどうか、また確かめに行きたいと思う。

(了)


影山知明 Kageyama Tomoaki
クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店 店主

東京都在住。国分寺でカフェを経営する。著書に『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』(大和書房)。

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