シャトルバスは田園風景の中をゆったりと走って行く。ちょうど秋の刈り入れ時ということもあり、目の前に広がるのは黄金色の稲穂の海だ。
バスのハンドルを握る初老の男性がのんびりとした声で「いまはこんな風ですが、冬になると、このあたりは雪で真っ白になります。ほら、このへんの家は屋根の角度が急でしょ? あれは雪が落ちやすいための工夫なんです」と教えてくれた。屋根に大量に雪が積もると家が傾くほどの重さになるらしい。
路沿いに立つ信号機も横型ではなく縦型。横型だと雪が積もりやすく、信号が認識しにくくなるそうだ。玄関が二階部分にある家も少なくなかった。雪が積もっても出入りがしやすいようにということだろう。雪国の知恵だ。
そこに住む人たちにとっては当たり前のものであっても、遠くから訪れた者からすれば、自身の日常とは異なる趣を持つ風景として目に映る。「非日常」という言葉を用いるほど大仰なものではなく、あえて言うなら「ささやかに異なる日常」。それをふと感じる瞬間は、旅をする時の楽しみの一つである。
「稲のハザがけをしていますね」と窓の外を見ながら言うと「ああ、そうですね。いまではほとんど見られなくなりましたが」と男性は言って少しスピードを緩めてくれた。
通されたのはクラシック棟の「四澤の間」。移築した幕末期の古民家の部屋の一つだという。どっしりとした柱や梁が醸し出す重厚な雰囲気に感銘を受けながら奥の間を見ると、窓辺にカウンターデスクがあり、ついうれしくなった。書き物をするには絶好の舞台装置だ。荷ほどきをし、お茶で喉を潤したあと、早速ノートを広げることにした。
日常とは異なる空間のなかの日常的な行為。その融合が普段では思いつかないような言葉を紡ぎ出したり、発想をもたらしたりする。ノートに書く時は原稿の下書き、言うなればラフスケッチのようなものだ。きっちりとまとめにかかるというより、思いつくままにペンを走らせていく。
その意味でもこうした時間と空間はありがたいのである。それを得るためだけに旅に出てもいい……とまではさすがにオーバーなので言わないが、そうした時間と空間のある旅、言い換えれば「日常と異なる日常」を体感できる旅は間違いなく長く心に残る。
夕食まで時間があったので散策に出かけることにした。旅先でのオーソドックスな行動は観光名所を巡ることだが、個人的にはそういう場所よりも、その地域の素顔にふれられるところを歩くのが好きだ。
例えばそれは商店街であったり、商店街から続く路地裏であったり、その先にある住宅の密集地であったりする。すれ違う人たちのイントネーションの異なる会話、その地域にしかないであろう個人商店に近いスーパー、店頭に並ぶ見慣れない食品、こじんまりとした神社のたたずまい……。そうしたことごとにもっぱら興趣を覚えるのだが、はてさて共感してくれる人はどれだけいるだろうか。
ryugonの門を出て左に折れ、田園風景の中を進み、古刹に立ち寄り、魚野川を渡り、駅前の商店街を歩いた。六日町駅前には立派な図書館があった。知らない町の図書館をのぞいてみるという行為もささやかに異なる日常と言っていい。
rygonでは「雪国ガストロノミー」と銘打ち、雪国に伝わってきた食材や郷土料理をアレンジしたディナーを供してくれる。温泉で散歩の疲れを流したあと、テーブルに着いた。
最初に出されたのが「雪国とせ」。九つの小皿に素朴な色合いの料理が並ぶ。枝豆豆腐、つるむらさきのお浸し、美雪ますの炙り焼き……。「とせ」とは「日常」を意味するこの地域の言葉だそうだ。日常と異なる日常がここにもあった。
料理はその後も一品一品がスタッフによって運ばれてきた。とう豆すり流し、日本海天然鮮魚盛り合わせ、水蛸柔らか煮、太巻きと野菜寿司、甘鯛豆乳クリーム焼き、にいがた和牛、魚沼産コシヒカリにけんちん汁、そしてデザート。丁寧な説明も添えてくれる。その言葉に耳を傾け、そして料理を味わいながらゆったりした時を楽しむ。
今回の旅行は一人旅だったが、その一人の時間はとても心地のいいものだった。ディナーはそのクライマックスといったところか。
部屋に戻り、再び窓辺のカウンターデスクの前に腰を下ろす。しかしノートは開かない。
しばらくはryugonに流れる時間の流れに身をひたしていたかった。
柚木崎寿久 Yukizaki Kazuhisa
writer/planner 企画・編集・制作オフィスゆきざき
京都市在住。フリーライターとして主に書籍の企画・制作を手がける。著書に「カール・ベンクス よみがえる古民家」「カーブドッチの刻」など。現在、雑誌「新潟発R」に「偉人ゆかりの地を歩く」を連載中。